About
岩橋英遠
Iwahashi Eien

 岩橋英遠(1903-1999)は、滝川市江部乙町出身の日本画家。江部乙屯田兵の2世として父・浅次、母・きくの長男として1903年に生まれる。本名・英遠(ひでとう)。

 江部乙村立北辰尋常高等小学校を卒業後、家業の農業に従事、1923年、21歳の時、本格的に日本画を学ぶために上京。山内多門の画塾に入る。
 戦後、安田靫彦門下となり、日本美術院同人として活躍し、日本画家新時代の一翼を担う。シュルレアリスムの影響や洋画の手法も取り入れつつ、独自の自然観照による幻想的で雄大な絵画世界を創造し晩年まで日本画壇の重鎮として活躍した。さらに生涯にわたって故郷・江部乙の景観を、子ども時代の記憶の風景も含めて数多く描き続けた。

 東京藝術大学教授、日本美術院理事、日本芸術院会員、1989年に文化功労者、1994年に文化勲章を受章した。1999年、相模原市にて逝去。享年96歳。

About
岩橋英遠略年譜
Iwahashi chronology

滝川市美術自然史館 編

  • 1903明治36
    北海道空知郡滝川村江部乙東10丁目に生まれる。家族は屯田兵として熊本県から1894(明治27)年入植、父岩橋浅次、母キクの長男。9人兄弟姉妹の第2子.本名 英遠(ひでとお)。
  • 1909明治42
    江部乙村立北辰尋常小学校入学。この年、江部乙村として滝川村より分村。
  • 1917大正6
    同校卒業。母を助けて農作業を行う。小学校の1年下級の一木万寿三(のちの一水会会員)と油彩画を描いたり、札幌で本間莞彩(のちの日本美術院院友)らと交わる。
  • 1924大正13
    画家を志し上京、山内多門塾に入門。
  • 1927昭和2
    革新日本画会第5回展に《雪》を出品。
  • 1932昭和7
    師の山内多門没。青龍社第4回展に《花と子供》を出品、初入選。
  • 1934昭和9
    再興第21回院展に《新宿うら》が初入選。
  • 1936昭和11
    第1回帝展(改組帝展)に《店頭囀声》が初入選。
  • 1937昭和12
    日本美術院絵画部院友に推される。
  • 1938昭和13
    馬場和夫らと歴程美術研究会結成。まもなく歴程美術協会と改称。
  • 1946昭和21
    安田靫彦門下生による研究会、火燿会に正式入会。
  • 1947昭和22
    北海道内スケッチ旅行。(スケッチ帳46)
  • 1950昭和25
    再興第35回院展で《明治》が日本美術院賞・大観賞受賞。
  • 1951昭和26
    再興第36回院展で《眠》が日本美術院賞・大観賞受賞。次年度鑑審査員に選ばれる。
  • 1953昭和28
    再興第38回院展に《庭石(雪・雨・月・水)》を出品、日本美術院同人に推される。(この作品により翌年3月、芸能選奨文部大臣賞受賞)
  • 1956昭和31
    道内スケッチ旅行。(スケッチ帳21)
  • 1958昭和33
    東京藝術大学美術学部講師となる。(1965年助教授、68年教授、70年退官、86年名誉教授)
  • 1959昭和34
    道内スケッチ旅行。中島多茂都、小浜亀角同行。(スケッチ帳13、19)
  • 1960昭和35
    初の個展開催(日本橋三越)。この年、北京、上海で開催の現代日本画美術展に中国側の招待を受け、日本画家代表団(団長・前田青邨)の一員として中国を訪問。
  • 1962昭和37
    この年、中島清之、吉岡堅二らとインド、中近東、エジプト、ギリシャ、イタリア、スイス、フランスなどを巡る。
  • 1963昭和38
    この年、アブシンベル神殿見学のためエジプトを訪問。ナイル川減水のため一時神殿訪問を断念するが、ヨーロッパを旅行して後、再挑戦して念願を果たす。
  • 1964昭和39
    この時、「絵巻発想」を著す。
  • 1966昭和41
    道内スケッチ旅行。(スケッチ帳1、14)
  • 1967昭和42
    法隆寺金堂壁画再現模写に従事。安田靫彦班に参加、第4号壁を担当。
  • 1970昭和45
    道内スケッチ旅行。(スケッチ帳4、8、17、22)
  • 1972昭和47
    《鳴門》により日本芸術院賞受賞。道内スケッチ旅行(スケッチ帳72)
  • 1973昭和48
    道内スケッチ旅行。(スケッチ帳3、5)
  • 1977昭和52
    《雪戦会の日》(1973・《陸軍記念日の村の小学校》の再制作)を江部乙小学校に寄贈。道内スケッチ旅行。(スケッチ帳53)
  • 1978昭和53
    日本美術院理事となる。初の回顧展「岩橋英遠展」開催(会場は北海道立近代美術館ほか、この展覧会により翌年毎日芸術賞受賞)。この年〈道産子追憶之巻〉を発表。この年、南北アメリカを旅行。
  • 1979昭和54
    滝川市名誉市民となる。
  • 1981昭和56
    日本芸術院会員となる。
  • 1983昭和58
    道内でスケッチ。(スケッチ帳2)
  • 1986昭和61
    滝川市美術自然史館開館、岩橋英遠室ができる。道内でスケッチ。(スケッチ帳11)
  • 1987昭和62
    ふるさと滝川に桜並木の復元を提案。中学生たちが種子から桜を育て始める。
  • 1988昭和63
    「富士を巡るー山と雲など 岩橋英遠展」開催(滝川市美術自然史館ほか)。道内スケッチ旅行。(スケッチ帳129)
  • 1989 平成元
    文化功労者となる。
  • 1990 平成2
    「岩橋英遠展」開催(東急文化村、札幌東急)。「滝川市開基百年・文化功労者顕彰記念 岩橋英遠展」開催(滝川市美術自然史館)。道内スケッチ(スケッチ帳6)
  • 1991 平成3
    桜並木の造成と文化振興を目的に滝川市に「岩橋ふるさと北辰振興会」を発足。
  • 1993 平成5
    「画業70年 岩橋英遠展」開催(日本橋三越)。「個性の来た帰行-岩橋英遠と片岡球子の世界」開催(北海道立近代美術館)
  • 1994 平成6
    文化勲章受章。
  • 1995 平成7
    「文化勲章受章記念 岩橋英遠展」開催(滝川市美術自然史館、札幌三越)
  • 1999 平成11
    肺炎のため相模原市にて逝去。(96才)